聴くってなんだ?2

簡単そうでとても難しい「聴く」という事を深く考えた時、思い出すエピソードがあります。聴くってなんだ?1でお話した私の恩師である住職の話の続きです。

先日、母の新盆で住職に会う機会がありました。

施餓鬼という法事があり、住職に挨拶した時のこと。「良いかーちゃんになったか?」と問われました。その時の私は、「ん?良いかーちゃん?良いかーちゃんとはどういうものだ?」と自問自答し、数秒沈黙した後「良いかどうかは、私が決めることではないのでわかりません」そう答えました。この数秒の沈黙の時、「良いかーちゃんとは、どういうものかわからないし、面倒臭いから、適当にはいと答えてしまおうか。いやいや、その対応は住職に失礼だ。ここは、正直に答えるとしよう」そんなことを考えていました。

すると住職は黙って私の返答を聞き、じっと私の顔を見て、小さく「そうか」と言い頷きました。

法事が始まりお経をあげて、説法も終わり、帰り際に住職がやってきました。そして一言「良いかーちゃんになったよ」と言って、送り出してくれました。法事の最中や説法を聴く私の様子を見て、「良いかーちゃん」になったと思ったんだろうと思います。私が自分で決めることではないと言ったので、私の言っている意味をきちんと受け取り、通り一遍の返事をするのではなく、住職の目を通して私の返事に応えてくれたと思いました。

このエピソードですが、「良いかーちゃんになったか?」という問いは、一般的に考えれば通り一遍の挨拶程度のものだと思います。よほどのことがなければ、挨拶と受け取ってサラッと受け流すような言葉なのでしょう。

普通のやり取りなら、「はい、良いかーちゃんをやっていますよ」と言ってにっこりするものなのではないかと思います。ただ、この時の私は、挨拶と受け取らずに、問いをきちんと受け止めて考えたのです。その姿勢に、住職は向き合ってくれたんだと思っています。

咄嗟の受け答えに、その真意と意味を聴き取り、それに応えていく。

そうそう出来ることではないなと思います。
それが出来るようになりたいものです。普段、話を聴くことを大事にしている者として、常にこの視点は持っていたいと思うエピソードです。